描ききれないを描き続ける
星野源さん、対談相手に慎吾を選んでくれてありがとうございました。普段から具体的に夢を語る事が少ないと感じる彼から楽しい時間を過ごせた事が文言から温かく優しく伝わってきました。
AERA編集室様、星野源様
本当に本当にありがとうございました。
吾郎さんの言葉を借りながらにはなりますが、
慎吾はまっさらな所から何かを産み出すことが出来る。私にとっては魔法使いの様な存在で、地球にあるのが単色な地面だけで、そこに1人立っているのが慎吾だけだとしても、慎吾はとても嬉しそうに色んなものを作り上げていくんだろうな、と今回の対談連載を読み終えて改めて感じました。
夢を形にしてみるけど、一切満足はしてなくて、色んな所を色んな色で色んな感情をつけながら、
私を見たことのない夢の世界に連れてってくれる...慎吾はそんな最高の初恋相手です。
実は、この日が来るのを心から待っていて、この対談は初回しか今日まで読んでなかったのです。
最後の日に、まとめて読もう、そう思って。
4-1"もう必死でした"
慎吾が芸能界に入ってから経験して、見てきて感じた世界のお話でした。ひとつめから凄く内容が濃いもので読んでいて驚いたのを覚えています。
慎吾が星野さんがスマステにゲスト出演してくださった時にとった行動について感謝の気持ちを星野さんが語ってくれていて(慎吾は屋上スタートなのに、まずスタジオに居てゲストと挨拶やお喋りをする)慎吾は星野さんの目線に立つと、直に本番だけで会うのは緊張してしまうし、嫌だろうな。と語っていた。相手の目線に立って、相手の気持ちを踏まえながら行動をとる慎吾は、小学生の頃からSMAPに属して、売れなければ文句を言われて、会場を埋めれなければ怒られる、そんな"偉い大人な人達"に囲まれて過ごしてきた処世術なのかもしれない。以前、慎吾は歳上が居たから、怒られるのは専ら中居くんや木村くんだったけど。と語っていたことがあったがそんな中でも学んで培ってきた賜物なんだと感じさせられる。
SMAPはバブル崩壊と共に誕生して、軌道に乗り出した頃にはメンバーが夢を追いかけて脱退とゆう道を選んだ。慎吾はそのグループに与えられた試練をチカラ、起爆剤と答えた。
星野さんは最後に
それが"みなさん"のカッコよさに繋がっているんですね、とSMAPに言葉を向けてくださった。
星野さんが最後にこの言葉をくれたのは私にとってものすごく嬉しいことでした。
4-2"マイケルのこと"
私たちファンの目線に立って思考を巡らせてくれる慎吾に涙が止まらなかった。
"お客さんは僕らが思っている以上にその日を待ちに待って会場に来てくれる。"
"お客さんは何週間も前にチケットを手にして今か今かと待ち構えている。"
"...僕はその思いがいつも何処かにありますね。"
勝手にだしあまりにも烏滸がましいけれど、こんなにも相思相愛であり、こんなにも思われているファンはいるのかな、と。
25年経った今でも変わらずに感謝を与えてくれてそれに答えようとしてくれる。
どんなにその瞬間、瞬間は新鮮であってもいつかは朽ちてくるものなのにその気持ちをいつも何処かにもっていてくれて生かしてくれている。
こんなに愛されていていいのかな、と思ってしまいます。
それと同時に、お客さんの反応までも自分の演出でコントロールしようとする慎吾はやっぱり本当に魔法が使えるんじゃないかな、何て思ってしまいます。
最初から力のある魔法使いではなくて
舞台裏で着替えながら、途中途中でお客さんの反応やステージの状態をメモしながら...誰もが幸せになれる夢の世界を作ろうとする、そんな努力家な魔法使いさん。
慎吾が演出をする前は中居くんがSMAPライブの演出を手掛けていたそうなんですが、ある時からそれが慎吾に代わったのです。その当時、中居くんは慎吾にステージングについて"こうしたらどうだ"とゆうメモ書きを持っていこうと思って、慎吾を訪ねたらしいんですが、慎吾の様子を見て"いらないな"とそのメモを渡すのをやめた、とゆうのを中居くんのラジオで聞いたことがあります。
他のメンバーからもステージングは慎吾に任せきりで申し訳ないのと同時に"ありがとう"という思いがある。と語られています。
1番早く現場に着て1番遅く現場から帰る。
...ドームでの舞台装置撤収作業まで見守る。
世間のイメージとはかけ離れているとは思いますが、それが夢を追いかけ続ける香取慎吾の姿です。
4-3"ぜひやってもらいたいです"
慎吾は昔からずっと"東京タワー"が好きと語る。
慎吾に対して温かくも冷たくもする"東京"に黙って温かく光を灯して立ち続ける"東京タワー"が。
いつか自腹で自分の色にライトアップしたい、と語る。私はそのときに何色にするのかワクワクする。
ビルボードを借りて絵を描きたい。
皆に"あれ?香取慎吾??"と困惑させたい、と。
お茶目で可愛いけれどかかる金額が全然可愛くないだろうエンターテイナーの夢がいつか実現できたら私はとても嬉しいです。
4-4"確実に存在するもの"
これは読んでいて1番辛かったです。
辛くて、悔しくて、涙が溢れてきました。
マイケルが好き、音楽が好き、躍りがすき。
白馬に乗った王子様になりたかった。
そんな慎吾が音楽を聞けなかった。
自分の強みにしていた"音楽"を聞けなかった。
理由は一生聞けることも知ることもないだろう、
その時の慎吾の感情も。
ただ、ただ自分の盾であり矛であったそれを持つことができなかった彼を想像しただけで私は苦しくなった。
"夢の世界に連れていく"
そのために必要だった大切に大切に育てていたものを奪われた衝撃とはどんなものだったのだろう。
私にはわかってあげられない、それが辛い。
そんな慎吾は以前、星野源さんとSMAPとで歌った"SUN"がとても好きでそれをきっかけにまた音楽を聴けるようになった、と語った。
ただ、その他で聴いてるものとしてあげたものは
"どれも同じ曲に聞こえるようなもの"と寂しい様な答えを述べた。
笑顔溢れる感じがいい、とビールを飲みながら(木村君のプレゼントしたチタンのコップに注いでなら尚嬉しいな)聴いてくれている事だけが救いかもしれない。
星野源さんがスマステにゲストに来てくださった時に慎吾は"久々に歌って踊りたくなった"と嬉しそうな顔をして言っていたのを思い出しました。
4号連続の対談掲載を振り返ると
夢と現実を狭間する世界を見た気分になりました。
私は今まで慎吾に、SMAPに十分すぎる"夢の世界"を既に見せてもらっていて何度も何度も連れていって貰っていました。慎吾は対談を読んでいるとまだまだ満足していないよ、まだまだ満足してちゃダメだよ!といった感じもするし、吾郎さんも"SMAPはまだ咲いていない、咲き足りない(ニュアンス)"と語っていたこともあるけれど。
だから、やっぱり改めて私は
中居君と木村君と吾郎ちゃんとつよぽんと慎吾と.....SMAPとゆう夢を見ていたいし、SMAPとゆう夢の世界に溺れていたいと思った。
SMAPにSMAPを返して、と思うし
私にSMAPを返して欲しい、と心から思う。
あまりにもSMAPに骨抜きにされてしまった私にはもうSMAPなしで楽しく生きるのはとても難しい。
夢の世界に生き(行き)すぎたのかもしれない。
改めてSMAPを、愛しています。
慎吾、好きだよ、大好きだ。
SMAPに出逢わせてくれてありがとう。
"ついておいで"とまたその5つ並ぶ大きな背中を見るその時を待ち続ける。
息吹
まず始めに
おじゃMAP!スタッフの皆様
依頼主様
今回の企画に関わった全ての方々
当時のSMAP×SMAPのスタッフの皆様
全ての方々に心からの感謝を送ります。
慎吾が20歳の頃
「ビルはあの絵で充分だぞ、と言うことをこっちの人にもこれだけ自然がある事は幸せなことなんだ。と言うことを言いたかった。」
その思いを主に地元の小学生たちと列車に込めて描いた。
20年経った今、車体も塗装もボロボロになり朽ち行くのを待つのみになっていたその列車が、また慎吾を中心として息吹を吹き込ませた。
慎吾の顔は目は考え方は当時より断然に大人びていて街を見渡す彼はあの時にはなかった哀愁があった。慎吾が今何を思い、息吹を送るのだろうか?と完成がとても楽しみになった。
慎吾が軽く列車に触れるだけで錆び付いた電車の車体は音を立て崩れて、改めて20年の時の長さの恐ろしさを知った。
それでも、この列車は雨や風などのあらゆる自然災害を乗り越えて今も此処にいるのかと思うと、同時に強さも感じた。
慎吾は「想像以上にボロボロだけど、これだけボロボロになるくらい20年、俺頑張ってきたんだな。これから先、頑張るためにはやっぱ今日、来るべくして来たのかな。」
笑顔を浮かべながらそう語った。
去年は
休業説、精神病説、自殺説、隠し子説....
彼は色んな事実のない噂を流された。
それを一蹴する様なこの発言を聞いて、この電車が今もなんだかんだ形を持ってボロボロになりながらも現存しているのではないかな、と思った。
錆び付いた電車の塗装を剥がす作業から、慎吾は電車の中で消えていない文字を見つけた。
"しんご"
「凄くない?俺って強いなぁ。」
"自由"
「自由、ずっと好きなんだな。お前は何に縛られてんだよ。何をそんなに羽ばたこうとしてんだ。でも、結構自由にやれたよ、20年。」
"自由"と言えば、昔中居くんがよく言っていた
"自由な風になりたい"を思い出す。
どこまでも兄弟だな、と思い知らされる。
そして、慎吾のコメントからは強さと優しさを感じた。"結構自由にやれたよ、20年"この言葉は強い人しか出てこない言葉だろうな。
慎吾は今回の修復のテーマを
"20年前の自分とのコラボレーション"とした。
過去をなかったものにしない。
木村君が騒動当時に述べた
"一緒にやって来たのは事実"
認めて受け止めて前に進む。
どんな過去でもなかったことにしない。
SMAPの思考はやっぱり何処かみんな似ている。
慎吾の気配りはやっぱり最上級で
子供たちが塗りやすいように、と
「これだけやっとけば、こんなでいいんだって。自由にやっていいんだって。ぐちゃぐちゃにしてるだけじゃん。って言われるかもしれないけど...」と。
筆を走らせた。見えないところ、見ないようなところまで相手の気持ちを汲み取りながら作品を作る慎吾が改めて好きだと思った。
ー20年の歳月を色んなところに残したい。
この先も慎吾は東京タワーを見るたびに6人で、5人で、みた東京タワーを思い出すんだろう。
慎吾の一般の人たちとのふれあいを見ていても
慎吾がSMAPが"国民的"とゆわれてきた理由を改めて思い知らされる。
距離感のないふれあいや、会話。
変に気取らず相手の目線にたつところ。
私はそんな人間らしいSMAPが大好きだ。
慎吾は最後にこの20年を
良いことも悪いことも沢山あった
それがあってこその、これから。
と、未来の自分に思いを馳せた。
悪いことを受け入れてなかったことにしない。
私はとんでもない人柄の人を好きになってしまったみたいだ。
私が将来、慎吾くらいの歳になった時に慎吾のように色んな経験をして立派な言葉で人生を見つめられるようになりたい。
やっぱり私にとってSMAPは
道標であり親であり師匠であり愛する人。
1週間も大きい。
1ヶ月も大きい。
1年も大きい。
....20年は大きい。だから、
SMAPがSMAPを愛している限り
やっぱりSMAPを私は諦めない。
私の今まではSMAPが彩っている。
多くは幸せであり希望であり喜びだけれど。
本当に本当に慎吾に出逢えてよかった。
慎吾のおかげでSMAPを好きになれたから。
香取慎吾の大好きな
中居くん、木村くん、吾郎ちゃん、つよぽん
好きになって間違いなかったよ、慎吾。
どれだけでも何回でも塗装して修復する。
だから愛が止まるまでは、諦めずにいつでも発車できる準備だけは万全にしておくね。
愛の返却
SMAPファンクラブの返金が
今月の13日までだったので行ってきました。
奇しくもこの返金用紙が来たのは
"2017年1月13日金曜日"
本日は
"2017年6月2日金曜日"
偶然は沢山起こりますね。
私がSMAPと出逢ってからの夢は
慎吾ママに家に来てもらうこと
SMAPに会うこと
SMAPのライブに行くこと
SMAPのグッズを集めること
.....SMAPのファミリークラブに入ること。
当時、まだ義務教育中だった私はとにかく家族に匂わせた。
ファンクラブに入るとこんな特典があるよ!
ファンクラブに入りたいなぁ
ファンクラブに入るとライブに行けるよ!!
ここでは"友達皆が持ってるから"アピールは通用しない。とにかく"魅力!"を"好き!"をどれだけ家族に伝えられるかにかかっている。
学校が終わり、家に着くと見慣れない封筒とその封筒にメッセージが残されていた。
私は嬉しくて嬉しくて声を上げて泣いて喜んだ。
それからSMAPファンクラブの会員とゆうのは
私にとってひとつのステータスで長所で誇りになった。
年月を重ねていくにつれて永遠にこの番号だけは守ろう、そう思った。
今年も会費を払ってまた来年も払う...その予定は、私の守りたかったこの番号は、奪われた。
返金終了が迫ってきて(書類を揃えれば13日以後も可能だそうです)、返金しに行く日を決めた。
それまでは正直
こんなのただの返金だ。
返金されるのが当たり前だ。
むしろ全額返金しろ、そう思っていた。
いざ"その日"が来てしまうと絶望が見えた。
返金を受けとる、と言うことは
実質的に解散を認めてしまうことになる。
FCの資格がなくなる(期限まで閲覧可能)。
私の十数年の当たり前は生き甲斐であったSMAP FCはSMAPの意思もなく取り拐われた。
そして私は自分の意思もなくFC資格を返金とゆう形で強制的に奪われた。
これがどんなに辛くて苦しいことかを知った。
それと同時にSMAPがスマスマ最終回で披露した
"世界に一つだけの花"を歌い終えた時の顔が瞬時に浮かんだ。
何も言えない、見えない、苦渋、もがき。
今の私は正にそうだと思った。
この何万倍もの思いを彼等は抱えていたのか。
そう思うとまた苦しくなった。
せめて、せめて自分達が
「SMAPをやめたい。もういいよね。」
そのタイミングで私もファンクラブを辞めて
SMAPもSMAPを辞められたら良かったのに。
100分の1もきっと分かってはあげられないけれど、これがSMAPがSMAPをぶんどられた時の気持ちだったのかもしれない。
返金に行く前に初めて手にした会報。会員カード。ゆっくり、ゆっくりと見返した。
涙が溢れて止まらなかった。
悔しい、悔しい、返して...。
家族にも会員カード、初めて受け取った会報、父からのメッセージ付の封筒の写真を撮って「ありがとうございました!」とメッセージを送った。
数分後に返信が来て、私はまた泣くことになる。
再結成を待っててくれて、ありがとう。
返金用紙を窓口に出して、手続きをしている間に考える。
SMAPのFCは年に4回と決まっている会報もまともに来なくて会員メールも大した内容ではなくて、ライブは2年に1度。返金してほしいタイミングなんてもっとあったぞ、と。笑
返金手続きが完了し、その一部を東日本大震災復興支援財団に寄付させて頂きました。
SMAPはこうなった今でも私の会費に素敵な使い道をくれた。SMAPはいつも私の道標だなと心の底から感じる。
このようなグループがもう2度と出来ませんように。と、仕切りに思うばかりだった。
皆さんにとって"会費返金"とゆう無慈悲な愛のない愛の返却作業はどういったものになりましたか?
思ったより辛くて思ったより苦しかったことと思います。
SMAPの輝く未知の未来にワクワクしながら投資して、一緒に過ごす毎日を未来を夢見て、SMAPへの感謝を伝えたはずなのに機械的に返される、急速に落とされたこの気持ちは私の知っている言葉では表現できません。
それでも.....やっぱり、
ずっと待っています。いつもありがとう。
今日はとても天気が良くてね...
風はかなり強いけど。
風が強いのはきっと素敵な道を
外れないように迷わない様に
真っ直ぐにしてくれているんだね。
元気の出る言葉
昨日は久々におばあちゃん(70代)の家に泊まりに行った。おばあちゃんは勿論、私がSMAPの事を大好きとゆうことを知っていて騒動が始まってからは仕切りにSMAPの話を嬉しくも悲しくもあるがしてくれた。
その悲しみの訳とゆうのは
最初は報道を鵜呑みにしていて(仕方ないけどね)私にとったら"違う、そうじゃない。"とゆう言葉を沢山向けられた。
「仲悪いなら残念だけど仕方ないね。」
何をいってもやはり人生の大先輩であり、激動を生き抜いてきた人間の信じているものをそう簡単に覆すことも出来なかった。私も躍起になって自分の知る情報を流したが結局は何度もそう返されて来てしまって...結局諦めた。日本の報道の仕方がそうだしそう思われても仕方がないなと思って極力、自分が傷つかない様にとSMAPの話に蓋をしておばあちゃんの前でSMAPの話や話題に上がることを避けていた。
そんな中、家を出る準備をする作業用になんとなしにつけたMr.Sのライブ映像(とはいってもBDは家に上がり込む時には持ち歩いていますw)。
闘病して、無事に退院したおばあちゃんに"人生で1度はSMAPライブに行って欲しい。"病み上がりとゆうこともあったのか、つまらなかったのか(←)長かったのか(←←)おばあちゃんはライブ中ほとんど座っていて、余り反応も示す事もなく公演を楽しんでいたので「連れてったのは、ただの負担で失敗だったかな...」なんて思ったりもしてしまっていた。
おばあちゃんは二人分の珈琲を持ってきて私のとなりに腰を掛けて
「SMAPのライブに連れてってくれてありがとう。これしか行ったことないけど、宝物だよ。」
と言ってくれた。ついつい嬉しすぎて
「これ(Mr.S)はコアなファンからも人気のある作品で再演を願う声だとか、色々あるんだよ。公演数もえぐくてセットの移動費って滅茶苦茶かかるのに、名古屋で2回に分けて公演してたり...」
オタクはひとつ褒められると止まらなくなることを忘れて語っていた。その間もおばあちゃんはMr.Sを見ながら相槌を打ってくれて「SMAPのライブはほんまにゴージャスで美しいよな。」と称してくれた。
「(解散に至るまで)色々あったんやろうけど、またどんなにヘナヘナなジジイになってもまた戻ってきて欲しいな。」
「中居くんもね"メンバー皆、学んだことのないことを頑張った。"って言ってたんだよね。本当に大変だったんだと思う。皆が皆、SMAPを守りたくてSMAPで居たかったから。"学んだことのないこと"ってなんなんだろう...でもSMAPは、たとえヘナヘナなヨレたジジイになっても絶対に格好良いから大丈夫だよ。」
「せやろなぁ。SMAPはジジイになっても魅力ある数少ない日本人になるやろなぁ。」
冒頭でも言ったようにおばあちゃんはSMAPファンでもなければ、むしろ"解散して仕方ない"と思ってた人だった。そんな人から"求められる"SMAPに戻ってくれたのがとても嬉しかった。
そのあとにも
「私はな、以外と吾郎ちゃんすきやで。」
「私も!!今、一番好き。吾郎ちゃんはSMAPの一番の武器で吾郎ちゃんが居なかったらSMAPはないと思う。」
「せやろな。おっとりして優しそうやもん。」
「剛はかっこええなぁ」
「嘘の戦争、見てた?!あんな演技できる人いないよね!!」
「SMAPの一番上は誰?」
「木村くんと中居くん。二人ともおんなじ高校に通っていて、"人生で一番楽しかった事は?"って聞かれて"高校から現場に一緒にした移動"って答えるんだよ。」
「中居くんがリーダーでよかったなぁ。」
「そうだね。木村くんがリーダーと言われても全然おかしくないし、いけると思うけど、中居くんが"自由にのびのびする木村拓哉"を望んでるからこれでよかったと思う。」
「あの子(中居くん)は苦労人やなあ」←何を知ってるのかww
「慎吾は、大きなったなぁ。」
「そうだよ、慎吾、もう40だもん。」
「でも、可愛いなぁ。」
「お兄ちゃん達がランドセル背負ってる頃から今まで、おんなじように可愛がって守ってきたから、メンバーいちなしっかり者でも可愛さキープしてんだよ。」
ついつい私の述べることに納得してくれるおばあちゃんに、今まで閉じていた気持ちが爆発してしまったのか""不仲の報道が出て、腹が立つ。解散させられて腹が立つ。SMAPは歩くペース、移動車が違う、傍に居ない、喋らない""それだけで不仲って言われる不憫!!とおばあちゃんに子供みたいに愚痴ったら
「皆、しっかりと自分達の意思を守ってきっと今がある。いつまでかかるとかすぐにはとはいけへんと思うけど戻ってくるやろ。今は少しホッとしてる部分もあるんちゃう?休ませてあげてる気分になったらええねん。あの子らからは嫌い、とか対立、では表せないお互いの"好き"を感じるよ。これだけ長い時間一緒に居たら"嫌い"とかゆう次元ではないやろけど。」
あまりにも的を得ながら、SMAPのメンバーが言っていた様な言葉を並べられて私は全てを受け入れてしまい、涙が目に貯まってしまっていた。けれど
「本人達が"5人に戻りたい。"その気持ちがあるから私はSMAPを嫌いにならないし、好きでいる。それがなかったら私はファンをやめちゃうだろうなぁ。....とりあえずジジイでもヘナヘナでも何でも良いから健康で、健康なうちに5人に戻ってくれれば、地位とか名誉とかはいらない。」
おばあちゃんも、それには"そうだね。全部捨てたらええねん"とゆうだけだった。
未来が見えないし、真実なんてわからないし、この先何が起こるかなんて分からない。
でも、私の見てきて大好きなSMAPは"嘘"の嫌いな正直で真っ直ぐファンと向き合ってくれる彼等で、自分の身なんてどうでもよくて誰かを傷つける嘘ならなおのこと口を開かない、そんな不器用だけど真っ直ぐ私たちを今も守ってくれているのが彼らだと思う。
私の知ってるSMAPは私よりSMAPが好きで大切で
"SMAPが傷ついたら、僕も傷つく。"
なんて言ってしまっているメンバーもいる。
この6月(契約更新)に入るとゆうとんでもないタイミングでおばあちゃん家に行って、おばあちゃんの口からとんでもなく心に沁みる(人を選ぶだろうけど)会話ができて...とにかくなんだかもっとSMAPが好きになってもっとSMAPをみたい!ついていきたい!と思ってしまった。
最後におばあちゃんはもうひとつかけがえのない言葉を私にくれた。
これは、SMAPに届いてほしいなぁ。
喜ぶかなぁ、恥ずかしいかなぁ、嬉しいかなぁ。
「"国民的グループ"って言葉が似合うのはSMAPだけだよ。」
SMAPに、どうか、どうか届きますように。
我が誇り木村拓哉
私の誇りである木村拓哉がカンヌ国際映画祭に招待されました。映画祭も70回目、三池さんの作品も100作目とゆう節目に私の大好きな木村くんが関われたことがとても幸せです。
映画祭中は天気も良好で気温も上々。比較的過ごしやすい中ではあるが厳戒体制の中、テロや暴動に巻き込まれることなく終われて良かったです。
写真撮影から始まり、そのときのスタイルはがっつり髪の毛をあげて全身を鮮やかな青色でまとめたスタイルで堂々とした立ち振舞いでした。
アナウンスでは"Japanese Star"や"Japanese band"と言われていて見ているこちらが幸せを噛み締める場面が多かったです。
主演としてはじめて、演者として2回目であったカンヌの地では三池さんと、特に杉咲さんをリードする様な振る舞いが沢山見受けられました。
そっと背中に手を回して先に行くように促したり、進んで通訳をしたり、と映画を離れたいまでも杉咲さんの"用心棒"であるように見られました。
海外記者、日本人記者から沢山のシャッターを向けられたりサインを求められたり...見知った人が居たときは笑顔と挨拶とサービスを向けて、どんな場所でも私の知っている木村くんで居てくれるのがとても嬉しかったです。
場所は移り、会見の場面となりました。
三池さんからは沢山のありがたいお言葉を頂きました。
"万次は木村拓哉しか演じられない。木村拓哉しか考えられなかった。"
"彼はスーパースターであり、スーパーアイドル"
"一緒に仕事ができて嬉しい。"
三池さんはいつも"キムタク"としての評価ではく"木村拓哉"として"SMAP"としての真っ当な評価と称賛を木村拓哉に与えてくれる。本当にありがたく幸せなことです。
三池さんの"万次は木村拓哉しか演じられない。"のコメントに進行者からは「じゃぁ、木村拓哉は不死身?」と聞かれていてその時の木村くんの反応は口元に手を持ってきて指を一本たててはにかんだ笑顔を浮かべていてとても無邪気で可愛かったです。
その他にも自分が剣道をしていたエピソードや「今まで何人を斬った?」とゆう質問もシークレットだよ。と口元に指を一本たてて笑顔を見せてくれた。
レッドカーペッドを歩き終えると最上部で空手のポーズを決めてこれもまた私の知ってるお茶目な木村くんの一面を見せてもらった気分になりました。
一方の木村くんは進行者から「万次の武器で一番欲しいものは?」と聞かれていて、彼はその時の問いには「万次のメンタル」とコメントしていた。
三池さんからは「"無限の住人"とゆう作品をリスペクトして欲しい。」と言われていたと木村くんは述べており、個性的な武器やアクションを見るのではなくまずは"万次"とゆう人物と向き合い、自分に憑依させていって万次そのものに"リスペクト"の目を向けていったのではないかと思いました。
海外記者からの質問では他にも気になるものがあった。"解散して寂しくなかった?"とゆうものだ。
"不仲で解散"と言われていた日本では一切、質問されてこなかったこの問いには驚いた。
海外と日本での"SMAP解散報道"の違いを感じざるを得なかった。
その質問に木村くんは
「事実は事実。前を見て進む。」(ニュアンス)と答えたらしい。
"寂しくないのか?"とゆう問いはバッサリ切って解散とゆう"事実"のみを述べたのだ。
木村くんは解散報道が出てから「自分の言葉で言える時が来たら、言います。」と言っている。
まだ、言えないのか。自身の気持ちより"守らなきゃいけないなにか"の為に隠さなきゃいけないことがあるんだろうな、と感じてしまった。
SMAPが解散の危機を乗り越えるとき(つよぽんの活動休止)に彼はこう述べている。
「包み隠さず言おう。包み隠してたら俺らSMAPこの先ない。」
「止まっているわけにはいかない、応援してくれている人が背中を押してくれた。」
あの日、あの時から彼は一つも変わっていなかった。ただ、"何かを守るために"SMAPの解散理由だけは嘘をつかないためにと今だに包み隠しているのだけれど。
日本である"ネガティブキャンペーン"については「ネガティブキャンペーンが実際にあるのも事実。そういうことも受け入れる。」とのこと。
""しならないと、折れてしまうよ""
と以前言った彼の言葉を思い出した。形を変えられながらも戦い続ける彼の事を私はいつまでも好きで、存在を自身の誇りと言ってしまうことをやめることが出来ないんだろうな、と思った。
カンヌ国際映画祭で無限の住人上映後
2300人の観客からのスタンディングオベーションを木村くんは浴びたらしい。私はきっと、あの時の木村拓哉の顔を永遠に忘れることはできない。
最大手である海外メディアのシネマ批評では既に80%以上の満足度を得ている"無限の住人"日本の宝である"チャンバラ映画""漫画"を世界に広めて好評価を貰えているのは日本人としても喜ばしい限りです。
三池さんは"日本ではチャンバラ映画が作りづらい。挑戦です。"と仰っていた。
その挑戦を是非、あなたの目でご覧ください。
("無限の住人"鑑賞の感想は
http://fanttkuj.hatenablog.com/entry/2017/04/29/123327 )
木村くんへ
無限の住人が世界に羽ばたきましたね。三池さんの100作目の挑戦に関われてファンとしてもとても喜ばしくそんな作品の主演を務めさせていただいたなんてとても幸せです。
騒動の最中、ライブの最中の撮影。
SMAPである時間とSMAPをとられた時間。そんな中でも三池組、三池さんにそれを気遣わせないようにと振る舞っていたことをはじめて知りました。
また、惚れ直してしまいました。
いつまでも、私の愛しい人で居てください。
沢山の喜びをくれて本当にありがとう。
5人へ
得体の知れない僕を守ってくれたのは貴方達でした。
よく聞き間違いされる僕の名前を広めてくれたのは貴方達でした。
"命を懸けて守るよ"そう言ってくれた貴方の言葉は僕の胸を温かく包み込み幸せを教えてくれました。
ありがとう、ありがとう。
一人が旅立ったその時、僕を箱に閉じ込めようとした貴方達は、やっぱり...そう言って蓋を開けてそっと拾い上げてくれました。
僕らの驚異になってくれ、そんな言葉を彼に向けていましたね。
僕を背負って立つのはどんな気持ちですか?
僕は貴方にとってなんですか?
僕のことを生きる意味とゆうきみ、
僕のことを自分に流れる血液とゆうきみ、
僕は愛される喜びを感じました。
ありがとう、ありがとう。
僕の名前はSMAP
SNAPでもSPAMでもないSMAP
僕は愛されることで力をつけたSMAP
僕は彼等と生涯を共にする事が出来るのかなぁ?
これからも一緒に居よう
SMAPは僕らの武器だ
そう言って皆で笑っていた時に
彼等の間に刀が降り注いだのを覚えています。
SMAPはこんな事では終わらない、
命を懸けてSMAPを守るよ。
そう言って不安な僕に力をくれました。
なのに、どんどん刀の数は増えていって
5人が傷ついていくのを僕は見ました。
愛してます、
それじゃまた、、
そう告げられて僕は
鍵のかかった箱にしまわれました。
またね。
僕はいつまでも貴方達を待ってる。
僕に愛を教えてくれた君達をずっと待ってる。
存在証明
\\無限の住人//公開日がやって来ました。
\\無限の住人//無事、見終えました!!
実写不可だと言われていた作品とゆうことで、そんな作品のしかも主演を大好きな木村くんがさせてもらえるとなって製作発表されてから、とにかく公開を心待にしていたものです。
三池さんといえば過去に"13人の刺客"で吾郎ちゃんがお世話になっていて、三池さんのあの"圧倒させるアクション"や"感情を揺さぶる残虐さ"を役者:木村拓哉はどう表現するのかとワクワクしながら劇場に足を運びました。
モーニングショーにも関わらず"満席"とは言わなくても十分なお客様が足を運んでいて、世間からも期待度の高い作品なんだと少し嬉しくなりました。それでいて年齢層は幅広く、どちらかというと年配の男の方が多かったと思います。三池作品のファンや原作ファンの方も足を運んでくださっていたのでしょうか...!上映中は、やはり"三池組"の"三池作品"とゆうべきでしょうか、数々のシーンに耐えきれずに声をあげてしまっているお客様もちらほらみえました。
アクションシーンの動きは圧巻で目まぐるしく繰り返される互いの命を懸けた、熟練された技の繰り出しあいに見ていて何度も圧倒されました。
描写ひとつとっても細部にわたる細かな演出が素早く変化する映像のなかでもひとつひとつが輝いてみえました。
衣装や小物や風景、すべてを手にとって見てみたいほど、残虐な行為が多く見受けられる作品の中でも無機物の美しさ、語らぬものの美しさを感じました。
こんな言い方をしてしまったら語弊があるのですが"胸くそ悪い"シーンもそれなりにあるなかでブラックユーモアも含まれており、そこではきちんと劇場内の笑いをかっさらっていて「あっ...皆さんまだ笑う事はできるんだ。」なんて思ったりして安堵してしまいました。
そのくらいアクションだけではなく内容や人間模様、ストーリーも作り込まれていて思わず身を固めて見てしまう様なシーンが数々ありました。
正直に言うと見た直後はあまりの衝撃のストーリーの繰り返しに2度とお目にかかることはないだろう作品だな...と思ってしまうかもしれませんが、時間が経つにつれて"あの時の、あの気持ちをもう一度味わいたい!"とゆう人間の本能の部分を擽られているような感覚に陥ります。(←加筆現在)
人は欲望のままに生き、自分が一番の正義。
生きるためなら、欲望を叶えるためならどんな手段をとっても正義に塗り替えてそれが正しいと思って生きてゆく。そんな人間の中で"不死"の力を手に入れてしまった万次もまた、欲望は持っていた。
はじめこそ"生涯に幕を閉じる"とゆう欲望を叶えるためにかってでた"用心棒"とゆう仕事だったのかもしれないけれど、一人の少女と関わっていくにつれて"くたばらない"意思を確実にした一人の男。
皆が皆、自分のために生きている中で"不死"とゆう"死ぬほどめんどくせぇ"力を授かってしまった彼は人のために生きる選択をした。
ここで再び、心は滅んでいた彼は生かされたのかもしれない。
万次は風貌こそとても汚くて臭そうだが←
心がとても美しい男だった。
単眼で彼が生きる世界はどう見えているのだろう。
人間の事をどう見ているのだろう。
とにかく真っ直ぐ生きる彼に惚れて
彼がこの世界をどう思っているのか気になってしまった。
目から走る閃光、鋭い眼光。
不器用なのに温かい行動や発言。
「それでいいんだ。」
凜が万次から最大の決断を迫られて命を下した後に出た万次の笑顔と言葉が忘れられない。
彼の背中は大きくて温かくて心地よい。
そんな彼が今もどこかで誰かのために
地球とゆう限りある資源の中で
無限に生き続けている、そんな気がしてならない。
無限の住人 2017/04/29 公開
カンヌ国際映画祭招待作品
スクリーンで見て頂きたい、そこでしか味わえないような興奮と迫力がそこにはありました。欲にまみれた人間たちの真っ直ぐ生きる様を是非、劇場でご覧ください。
人の存在証明の方法は誰かに必要とされて、誰かのために生きたい、その思いが重なった時に成立する。
自分が必要とされていてはじめて自分の存在価値に気づくのかもしれない。
存在証明とゆうものはその時に得られる人間の特別な感情なのかもしれない。