明日が待っている

SMAPと関ジャニ∞

19910909→20160909

ある日、今思えば"運よく"ローラースケートができなかった6人が集められた。

「you達はSMAPだ。」

「(なんだ?その石鹸みたいな名前。)」

「いつか世間で"SMAP"という言葉が飛び交うときがくるんだよ。」

....それから十数年が経ち
彼等はSMAPのことをこう述べる。

第2の名字であると。帰れる場所であると。
血であり、酸素であると。
生きていると感じさせてくれるもの、と。
そして、、、、、生きる意味。と。



1991/09/09......彼等は雨が降りしきる遊園地で
デビューイベントを飾った。デビューシングルはあいにく1位を獲れず幕を閉じた。
時代はアイドル氷河期に突入し歌番組は軒並み終了。発売楽曲を歌うためには"ドッキリ"に引っ掛かり"おもしろいこと"を沢山しないと披露できない、そんな時代になっていた。

メンバーの一人は
「思っていたアイドル像は"白馬にのった王子さま"だったのに。」
とかつてのことを笑いながら語った。

そんな彼等の芽はまだまだ育たない。

発売するシングル曲は全く1位が獲得できず、ライブにはアリーナ規模でも満員にはできなくて2階席は横断幕をもった二人組が端から端まで縦横無尽に走り回っていたそうで彼等はこれをみてはじめて
「このままではいけないんだ。」と気づいた。

彼等の転機はデビューしてから3年後にやって来た。オリコンランキングでついに1位を獲得できたのだ。

「なんでバリバリ関東出身の俺らがこの曲で1位を飾れたのか?」

なんて今でも時々この話で笑いをとっている。

そこからの彼等は一気に成長を加速させた。

ミリオンセラーを叩き出したり
五大ドームツアーを初めて行ったり
アーティストとして初めて単独で"国立競技場"でライブをしたり
海外アーティストの初めてのバラエティ出演が自身の番組であったり
アイドルではじめてMCを成立させ
アイドルではじめてバラエティを成立させて
ドラマが始まると街からOLが消えるといわしめて
日中友好の架け橋となって

彼等は全く舗装されてないガタガタで通れない道を自分達で整えて走り続けて今に至るのだ。

SMAPのことを彼等は自身でこう評価しあう。

SMAPの最大の武器は5人でいること。

20年以上も一緒にいれるのは"嫌いを上回る好きがある"から。

SMAPはいわば運命共同体。

SMAPは帰れる場所であり酸素、ないとヤバい。

SMAPであるからできることがある。

昔はステージの上でSHAKEとか歌いながらメンバーに見守られながら死にたいと思った。

おじいちゃんになっても一人になってもSMAPでいる。


そんな熱くるしい彼等は今日25歳のお誕生日を迎えました。
こんなに身内外からしか祝われないことがあっていいのかと思いますが25年以上も一緒にいる、これが事実です。物言わぬ、事実です。

beetle/草なぎ剛

ぼくらの出会いは必然だったの
何で出会ったなんかって考えなくてもいい!

僕らの夢はきっと叶うだろ
夢なんて持たなくていい!
そんな強がりいうけど
僕らの夢はきっと叶うだろ
空に高くFly Away!

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25周年おめでとう。まだまだ走り続けてね。