明日が待っている

SMAPと関ジャニ∞

SMAPと生きた平成

SMAPが結成したのは1988年4月...昭和63年のこと。
昭和は翌年の1月7日で幕を閉じた。
この事から私は平成を"SMAPと生きた時代"とした。

SMAPの功績と間違いなくSMAPを語るに大切な出来事を振り返りながら残すところあと2日となった平成を思い返したい。
私にとって平成は大切な宝物(SMAP)を見つけて宝物と夢を見続けた時代、といっても過言ではないから。

1990年 平成元年 SMAP結成3年目
昭和を彩った音楽番組が次々と終了。
ここから本格的な【アイドル冬の時代】の到来。

1991年 平成2年
SMAP1stconcertを開催。
武道館で1日3回公演
このコンサートのリハ中に慎吾はバック転の練習で足を骨折。慎吾は1曲だけ参加して5人での公演となる。
この時の事を慎吾は「皆が心配する中で中居君だけは"ピーヒャラピーヒャラパッパパラパ♪"と歌いながら駆けつけてくれなかった。」と語っている。

9月8日 西武園ゆうえんちでデビューイベントを開催。雨が降りしきるなかでモニター類が故障しながらのイベント。天候にも恵まれないジャニーズ史上初の不運なデビューイベントであろう。
結果ジャニーズ史上初のデビューシングルでオリコン1位を取ることの出来なかった「事務所始まって以来の汚点」と言われることになる。(累計売り上げ15万枚)

1994年 平成6年
SMAPは12枚目にしてはじめてオリコン1位を獲得。
「HeyHeyおおきに毎度あり」当時の事を彼らは「関西弁ではない僕らがこれを歌って1位を取るなんて..」と複雑な心境を吐露していた。

1995年 平成7年
阪神大震災直後のMステに出演したSMAPは新曲を披露する予定を変更して黒いスーツで登場して被災されたかたに対するメッセージと共に「がんばりましょう」を披露した。

1996年 平成8年
SMAP史上初のスタジアムツアー「超無限大翔」
申し込みが殺到して急遽、追加公演が決定した。

SMAPにとって雪解け....足元を確かなものにした。

2002年 平成14年
7月24日14枚目のアルバム「Drink!SMAP!」発売
このアルバムには後に彼等や日本を語るに必要不可欠となる楽曲「世界に一つだけの花」が収録されている。

2003年 平成15年
35枚目のシングルとして「世界に一つだけの花」を発売。
この年にSMAPは12回目の出場ではじめて紅白の大トリを務めた。

2005年 平成17年
SMAPは2年ぶりとなるツアーで単独のアーティストとしては史上初となる【国立霞ヶ丘競技場】でのコンサートを開催。
今では色んなアーティストが国立競技場でのコンサートを開催しているが、SMAPは何度も何度も交渉を重ねてやっとの思いで(交渉期間は数年規模)コンサートに漕ぎ着けた。アーティストからも感謝の声が上がっており「自分達が国立競技場でコンサートができるのはSMAPのおかげ」と語る人もいる。
国立競技場が立て替え工事に入る前の特番ではSMAPのリーダーである中居くんがコメントをこう寄せていた。

SMAPはアーティストとしてはじめて国立で単独ライブをやらせていただきました。国立の存在感に負けないよう。必死に歌ったのを覚えています。SMAPにとって一生忘れられない最高の思いでです。新しい国立競技場も日本に元気を届けてくれる素晴らしいステージになってくれると思います。」

2006年 平成18年
マイケル・ジャクソンが人生で最初で最後はじめてバラエティ番組(SMAP×SMAP)に出演。

2007年 平成19年
文化庁日本PTA全国協議会と共に主催して公募していた「親子で歌いつごう 日本の歌百選」のひとつに「世界に一つだけの花」が選出。

   この年でSMAPは全員30代に突入した。

2008年 平成20年
日本人アーティストで当時史上最長の東京ドーム6日間公演を完走。

2010年 平成22年
日本人史上初公演観客動員数1000万人突破
4年連続で紅白歌合戦の大トリを務める。

2011年 平成23年
日中友好の架け橋」と称され国賓級扱いを中国側から受けながら2度の延期を乗り越えて北京で初の海外公演を開催。
3月11日 東日本大震災
発起人「SMAP」として【東日本大震災 復興支援財団】に参加。
5年以上にわたり「SMAP×SMAP」のなかで支援金募集のコメントを毎週撮りなおして放送。
この年に発売された彼らのシングルは、配信限定となり着うたフルは1ダウンロードで100円を寄付する形となった。


2013年 平成25年
SMAP50枚目のシングル発売
紅白歌合戦6度目の大トリ

2014年 平成26年
五大ドームツアー Mr.S 開催(9/4~)

2015年 平成27年
五大ドームツアー Mr.S 閉幕(~1/12)

2016年 平成28年
彼らはかつてより
SMAPがなくなったら何になるんだろう?」
SMAPは自分に流れる血液」
「(SMAP)酸素。なかったら死んじゃう。」
「格好つけてるっぽくて恥ずかしいけど、生涯SMAPでいたいよね。」
SMAPが結成されて早い段階から彼らはSMAPとしての永遠を夢みていた。
それも、またジャニーズ史上初の心境。
その永遠を叶えるために何者かに向けた「公開謝罪」を民放を通して生放送。その謝罪と夢は叶わず、夏の五輪開催中の深夜に事務所により解散発表(メンバーの一人は海外旅行中)。その数日後には決まっていたかのようにFC会員に「解散報告」葉書を発送。

日本のバラエティー史上番組の平均視聴率は歴代8位
日本ではじめて20年以上活動したグループ

SMAPの「世界に一つだけの花」は累計売上312万枚..平成に発売されたシングルで初めてトリプルミリオン達成
オリコン歴代シングル売上ランキング3位

これが、SMAPと駆け抜けた平成。
SMAPと夢を見て旅をした平成。

私にとって平成は前述した通り「宝」を見つけた。
ボロボロに踏みにじられて傷つけられて
それでも宝は綺麗に輝き続けた。
それでもとっても、とっても楽しかった。
たくさん、笑った。

令和はどんな時代になるのだろう。
権力を振りかざす悪者の言いなりになるしかないバラバラにされるような時代が終わって、誰にも邪魔されずに好きなことを好きな人たちと全うできる...
「生涯」を夢見た彼らが当たり前のように認められて
「待っている約束」
「再結成したい気持ちはある」そんな気持ちが叶えられる時代でありますように。

令和もどうぞ、よろしくおねがいします。