進入した日
香取慎吾はこの地球に生まれてから
アイドルとして生きていない期間の方が少ない。
私はこの地球に生まれてから
香取慎吾を愛していない期間の方が少ない。
それが交わる瞬間、交わった瞬間...それが昨日。
「個展を開催します。」
普通に受け入れたそれが始まってみれば
客席が回る
お客さんをステージにあげてしまう。
すべてが規格外。
「芸術ってなに?」
私が生きる術を教えて貰って生かして貰っている人からの滅多に来ない問いが私を「?」の渦に落とし入れた。どんどんどんどん下っていって、私は答えを持たないままに慎吾の中心から内部に進入していた。
そこはまさに目にしたことのない世界
目にしない方がよかったかもしれない世界
慎吾を好きになった当初の幼い私じゃ受け入れられずに泣き出してしまいそうなくらいに色彩に溢れていて美しいのに苦しい世界。
誰も開くことのできない
正四角形の出入り口のないおもちゃ箱。
私は世間に問いかける
「香取慎吾のイメージは?」 ...天真爛漫?
"何かに縛られ名付けられた"
.......そんなものは存在しなかった。
"やりたい放題"でも"好き勝手"でも"自己中心的"でもない。
"開放" "解放" "放出" "爆発" " "
聞こえは悪いが、香取慎吾の"吐物"の祭典。
少年はランドセルを背負う事は僅かで、
遥か歳上の人間の色々な部分に触れて、触れられた。
潰されて爆発して真っ黒になってしまわずに
沢山の色を吐いて自分を咲かせられる
そんな場所を見つけられてよかった。
美しくて苦しくて儚くて悲しい。
これが、私の感想...
慎吾が一人の人間として生きていくためにこうして自我を保ってくれていたと思うと苦しくもあったけど、「そんな所まで見せてくれてありがとう。」そう言いたい。「見られてないとダメな人。アイドルだから素材は自分。」慎吾は自分のことをそう言っていた。
時系列に作品は並んでいないもののその時の心の動きが何となくではあるけど慎吾の心音と共に私の心に喋りかける。
時期によって作品が荒れてたり多かったり、慎吾のなかで流行っている作風が続いていたり...
ファンとして行く人には
この香取慎吾を
受け入れられる勇気がある人
芸術として楽しみに行かれるかたは
香取慎吾が真っ白な世界から自分を保つためだったり
慎吾の細胞に触れに行く気持ち
そんな気持ちで足を運んで心を繋げてほしいです。
作品を見るだけではなくて
視覚聴覚嗅覚触覚...全ての感覚を使って
慎吾の内部に進入してきてください。
香取慎吾さま
こんなにさらけ出してくれてありがとうございます。
ここまで見せてもらって
一生繋がってないわけにはいかないと思いました。
鼓動を歩みを重ねて...
これからも共に生きていけたら、と思います。
アイシテマース。